当時、昭和時代の都立高校学校群制度下の桐朋高校レベルと72群につい

当時、昭和時代の都立高校学校群制度下の桐朋高校レベルと72群について質問があります。 社会人になって桐朋高校のお話を伺いました。かつて桐朋高校のレベルは、学校群72群の併願校の滑り止め校だったと伺いました。本当でしょうか。
当時、学校群制度時代の受験生曰く、「ネットで桐朋高校が凋落したと書いているが、桐朋高校は都立立川高校、国立高校の滑り止め校に昔に戻ったに過ぎない。凋落したとは言えません」と、コメントを頂きました。更に、早稲田実業は、商業科もあり大学内部推薦枠が50%の時代だったそうです。
当時、学校群制度の72群は、都立立川高校と都立国立高校です。たぶん、立川高校が多摩地区でトップ校の時代です。まだ、八王子東、小金井北、調布北が存在しない時代でした。まだ学校群制度前の都立国立高校は東大合格者数名程度だったとか。
私の予想ですが、
72群>桐朋>74群>唯一単独選抜の都立国分寺高校>75群>>>錦城高校>>>>拓大一高
との位置付けでとらえてもいいでしょうか。
桐朋学園2017年
学校群制度 都立高校



桐朋>72群
これは確かです。
1980年前後では、多摩では、桐朋。


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